歳を重ねること。生きるということ。
ご機嫌いかが、ケンジです。
今年の6月、ウチのばあちゃんの白寿をお祝いすることになり、小島家の親戚関係、お世話になった方々も含め、そこそこの人数が仙台に集まりました。せっかくなので司会進行を志願したわけですが、今回の白寿の会のアトラクションとして、ばあちゃんのこれまでの歴史を皆に紹介し、ばあちゃんとの繋がりを改めて知ってもらうことにしました。
題して「おばあちゃんの歴史」です。 ばあちゃんの足跡をたどりながら、親戚や両親といろんな話をしました。ばあちゃんの歴史は、意外と平凡な日常の連続と、それにまつわる沢山の想いで。更にそれを取り巻く家族の想いと、それぞれの足跡。まさに生きた証です。私は宮城県外で過ごして来た時間が長かったため、今回のことで色々な親戚の方と一緒になって何かをすることや、沢山の意見交換をすることがとても新鮮でした。一度に家族が増えたような、不思議で嬉しい気持ちです。 以前私の母が、ばあちゃんに聞いたことがあるそうです。「死ぬことが怖くないのか」と。 するとばあちゃんは、こう答えました。 「人は死ぬ覚悟がそう簡単にできるもんじゃない。歳を取り、経験を重ね、時間の流れの中で自然に出来上がるもんなんだよ。私はもうやることやってきたし、怖くはないね。」 ばあちゃんはとても行動力のある人だったらしく、いつも家にはいなかったそうです。精力的に人の為にやりたいことをしてきた人なのだそう。ウチの親も、仕事人間の手本のような人でしたが、今はマイペースに仕事をしながら、そんなばあちゃんに毎週パンを届け、楽しくおしゃべりをします。生きてるうちに少しでも顔を出して、ありがとうを言いたい。親孝行したいと言います。 私も41歳になり、改めて歳を取ること、そして生きることを考えます。自分が意欲的にパンを作り続けながらも、人生の階段はすでに下っているのだと思います。だとしても、ばあちゃんのように生きて、自分の人生を堂々と伝えることができるくらい、この仙台で経験を重ねていきたいと思います。
ベタなネーミングですがなかなか良い企画でした。この企画を進めるにあたり、沢山の想いを感じることができましたし、改めて気付く事も多く、自分にとっても有意義な時間となりました。